「信州伝統野菜」認定制度創設へ 食の伝承、県外に発信
(5/08)
県は今年度、県内の特定地域で古くから栽培されている在来品種の野菜を「信州伝統野菜」として認定する制度を創設する。伝統野菜の品種、栽培方法を継承するとともに、伝統野菜を食材に地域がはぐくんだ味覚や文化を広く発信し地域振興につなげようという狙いだ。現在、「信州伝統野菜認定委員会」(仮称)の設置に向け準備を進めている。
県内の主な伝統野菜として県農業生産振興チームは33品目を挙げている。人気が高くて生産が追い付かないという「赤根大根」(清内路村)をはじめ、絶滅したとされたが、5年前に40年ぶりに種が見つかった「黒瀬蕪(かぶ)」。諏訪、上伊那地方では「上野大根」「諏訪紅蕪(べにかぶ)」「羽広菜」がよく知られている。
県が設置する「信州伝統野菜認定委員会」は、予定では県と生産者、消費者、漬物業者、流通業者、学識経験者で構成。栽培の歴史や生産履歴、栽培方法、品種特性などの面から認定基準を策定し、申請に対し審査・認定する。普及、啓発のための認定マークも作る。
一方、県は農業改良普及センターが中心になって、他品種との交配を防いだり、生産力を上げる技術を提供。他部局も加わって販路拡大やPRなどで生産者を支援する。
飲食店や宿泊施設、消費者らと生産者を結び付ける多目的イベント「信州伝統野菜フェア」も開く予定だ。「知名度が上がれば販売が有利になる。地域の食文化で地域振興を図りたい」としている。
県野菜ユニットによると、「栽培者が1人で高齢化が進んでいる品種があったり、門外不出という地域の考えから、認定を申請しないケースも考えられる。支援策もさまざまになる」ことから、認定委設置を前に、それぞれの栽培状況や、その他の在来品種などについて情報を集めている段階だという。
■羽広菜 伊那市西箕輪で栽培されている羽広菜は、県内でも貴重な在来野菜で、主にカブの部分を漬物にする。酒かすとみそなどを使った独特の漬け方が伝承されている。昭和30年代以降、野沢菜の人気が高まり、栽培面積は減少したが、羽広菜生産加工組合(西村照幸組合長、10人)が栽培、加工、販売を行い、保存、普及に取り組んでいる。
組合は1992年、「かぶ漬けを多くの人に味わってもらいたい」と発足。現在約20アールの畑で羽広菜を栽培し、約4トンを収穫。農業公園みはらしファームの農産物加工場で11─12月に漬け込む。1シーズン1万袋(250グラム入り)を生産し、12─3月にかけ、ファーム内の売店や市内の農協直売所などで販売している。
用途を広げるため数年前からは11─12月に浅漬けも販売、好調な売れ行きという。
■諏訪紅蕪 昭和30年代(1955―64)まで、羽広菜や源助かぶ菜とともに南信地方ではツケナ(漬け菜)の主流だったという諏訪紅蕪は今、絶滅に近い状態にある。わずかに種を採っているのは茅野市横内の五味信雄さん(79)のみ。種苗商を営んでいた五味さんが、代々受け継いだ種だから―と廃業後も絶やさずに守っている。
諏訪紅蕪にはうま味があり、塩をふっただけで漬けてもおいしく食べられるという。繊維質が強いためか、漬けあがっても葉肉がとろけないのが特徴だ。カブは甘みがあり、干したり、煮たり、油みそなどにして食べられていた。
五味さんによると、上下伊那地方で諏訪紅蕪の種を好んで買い付ける人たちは有畜農家が多かった。「たい肥を入れた畑にまくと、甘みも増すし、軟らかさも出る。野沢菜も軟らかくできるでしょうけど、この紅蕪なんていうのはうんと軟らかくできるから喜ばれた」と話す。
飯島町日曽利の宮上義和さん(71)は、20年前に亡くなった父親の宗逸さんが、五味さんから毎年諏訪紅蕪の種を購入していたことを覚えている。購入した種を元に、近くの家とでしばらく種を採ったようだが、いつしか途切れた。「紅蕪はおやじが亡くなる前後まで作っていた。先々代の、おじいちゃんのころから毎年種をもらっていて、うちでも一番長く使った種だった」と宮上さん。「毎年3月いっぱいは食べることができた。3月に食べる分は少し塩辛めに漬けていた。カブの部分は年取り(小正月)用に干し、くるみあえにして食べたものだ」と懐かしんでいた。
かつては茅野周辺でも栽培する農家があったという諏訪紅蕪。市場の需要も野沢菜に取って代わられ、農家の作付けがセロリやパセリなど収益の上がる農産物に切り替わるにつれて、見向きもされなくなっていった。
最盛期には200リットルぐらいは種を採ったという五味さんも、近ごろは隔年採種。作付け量も減り、わずか10数平方メートルで2年分の種1―2リットルを採るだけだ。丈夫なうちは続けるという五味さんだが「これで私がやめれば絶えていってしまうと思います。これも時代の流れで、いたしかたがないことです」と寂しそうに話している。
■上野大根 江戸時代に高島藩主へ献上されたと伝えられる諏訪市上野地区の特産上野大根。歴史ある伝統野菜だが、他品種との交雑などから、一時は1つの品種とは思えないほど実りにばらつきが出るようになった。
品種存続の危機を感じ、伝統の地方品種を本来の姿に戻すプロジェクトが始まったのは1989年。生産者が行政や農協、信州大学と連携して7年もの研究を重ね、品種の特色、選別のしやすさなどを備えた「上野大根」を復活させた。
復活で採用したのはF1育種法。品種特有の形状を備えた株を選び、自家受粉と栽培、優良個体の選別を繰り返して遺伝的に純粋な株を2系統作り、この2系統の交配による種子を生み出した。
一方、細かい自家受粉は多大な労力と神経を使う作業で、生産者を中心に心血を注ぐ努力が続いた。信州諏訪農協文出広域営農センターの一ノ瀬昭吾さんは「失敗すれば過去の積み重ねを無にしてしまう。1度は病気の消毒でつぼみが枯れてしまい、これで全滅か―と心底心配したこともあった」と振り返る。
昔ながらの上野大根を未来へ―。関係者一丸の努力でよみがえった優良品種は「諏訪湖姫」と名付けられ、現在は25軒が栽培。2005年の作付面積は約300アール、収穫量は12万7000本に上る。地元組合では、付加価値を高める加工品・たくあん漬けの生産販売も展開し、冬の食卓に欠かせない一品として幅広い人気を集めている。
信州大学農学部 大井美知男教授 野菜の地方品種の研究や育種に取り組んでいる信州大学農学部の大井美知男教授に、伝統野菜について語ってもらった。
―信州の伝統野菜をどう守り、はぐくんでいくべきでしょうか。
標本として残してもしょうがない。食べ物ですし、その地域の食文化と一緒に生きてきたものですから、そこで生きなかったら意味がないでしょう。地域全体でその重要性を認め、いろいな形で盛り上げていくことが必要です。作る側がいて、食べる側がいるという結びつきがないと、なかなか残らないと思います。
―野菜の地方品種は人くさいといわれますが。
F1(雑種第1代)と違って、在来種のほとんどが毎年種採りをします。ということは前年と同じものは理論的に考えても絶対できない。さらに、採種する人の好みとか、あるいは願望とかが来年の種を採る母本を選ぶ目になる。それが5年、10年たつと、10年前とは明らかに違うようになる。その時代によって、社会的な背景とか、あるいは、栽培者、採種者の願望とかで少しずつ変わる宿命にあります。つまり、時の食文化が決定要因であって、食文化が途絶えれば、地方品種も消滅するということです。逆に、新たな食文化が生まれれば、新たな地方品種が生まれる可能性もありますね。
―伝統野菜の保存や活用で変わった動きはありますか。
最近、これまでにない展開だなと思うのは高遠辛味大根(伊那市高遠町産)なんです。在来種とか伝統野菜と言ってしまうと、もともと何もなければできません。でも、そんなこと言っていたら新しい食文化とかは生まれない。例えば長野県には五十いくつかの品種があるけれど、どれもいつの時代からか、どこからか入ってきたものです。もっと言うなら大根でも蕪(かぶ)でも、あるいはキュウリでもナスでもみんな原産地は日本じゃない。それが日本の地域の中で、気候だとか風土だとか、あるいは嗜(し)好だとかが合わさって在来種というものが出てきた。
高遠辛味大根といっても今は影も形もない。記録もないし、分からないですよ。でも、保科正之の歴史からたどれば、あったのではないかと推察はできる。今年で3年目かな。だんだん見通しがついてきましたよ。
―伝統野菜を残そうと県が動き出しますが、期待や注文はありますか。
県の財産ですから、何代にもわたってそれを守ってきた人に対して敬意を表するべきです。そして、現場で維持していくために、県としてどういう援助ができるか考えないといけない。
もう一つは外に対してですよね。長野県は在来種の宝庫です。生きた文化財がこれだけあるんだということを外にアピールすることは県全体としてメリットは大きい。人肌のものは都会の人ほど関心が高いと思います。それぞれ歴史があるわけですから、その当地に足を運んでいただいて、例えば親田辛味大根(下伊那郡下条村産)なら、芭蕉の句碑のそばに立って往時をしのび、おそばでもいただいたなら、とても満足して帰っていただけると思いますよ。
(長野日報)
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